松本ソフィアアカデミーBLOG

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慶応の実質偏差値はいくらか?
 友人が慶応の偏差値に関しての記事「慶応の偏差値はマユツバものだ」というメール送信してきたから記事内容を読んでみたが、3つの大手予備校SKYでも2くらいずれているようである。慶応で一番の難関は医学部、次は法学部法律学科、経済学部、工学部でその後の学部はうやむやではないだろうか。慶応第一志望受験者は文系ならばどこの学部でも受験してしまう傾向がある、要するに慶応の名前がついておけばよいと考える向きが多い。文系で入り易いのは商学部、政治学科、湘南系統だろう。ただ湘南系統の学部はどんな勉強内容か入学してみてみないと分からないような得たいのしれない学部ではある。文系なのに数学が少し得意な学生が入る傾向がある。環境系統のゼミではロボットや車を作って工学部まがいのことをしたりしているようだ。慶応と言えば昔から経済学部が伝統的に難関だったが、経済学部の人気凋落の影響と、法律学科=司法試験の人気度アップで比較的易しくなっているようだ。しかし、法律学科も法曹界のゴタゴタが原因で一昨年ほどの難関ではなくなるだろう。
 慶応には附属高校があるせいで、実は大学から入学する学生との学力差はかなり大きいのは事実である。附属高校卒の生徒はイージーな連中が多くて大学生活をエンジョイして速やかに就職するものが多数を占める。コネと要領の良さ、毛並みの良さが売りであるし、学力はさほど重視しない連中である。よく慶応のプレイボーイとか三田の色魔などと揶揄される連中はこの附属出身である。外部から入学する学生と内部から進学する学生の間には最初のうちは親密な交流はないのだが、朱に交われば赤くなっていくのは外部生である。4年も慶応にいれば外部生がすっかり慶応ボーイへと変身するのである。慶応の外部生は地方から来ている連中もかなり経済的余裕のある家庭出身が多いから、慶応ボーイへと変身するのも当然だろう。実際に附属出身の慶応ボーイはサラリーマンエリート族の子息が多いから、地方出身の慶応ボーイのほうが資産家や実業家の子息が多くて贅沢な連中がいる。
 さて冒頭のテーマである慶応の偏差値だが、偏差値SKYがはじき出した数値指標であるから偏差値の高低は確かにその予備校が考える難易度指標であるだろう。SKYで偏差値が異なるのは予備校テストを受ける生徒のレベルでバラツクのである。偏差値がSKYで同じ基準のもとにおこなわれるわけではないから、バラバラになって当然だろう。SYKの順で偏差値が上昇するようだから、Kの受験生がレベルとして低いということが分かる。Sの慶応への偏差値が低いのは、Sの主力部隊が東大受験生だから当たり前のことである。Yが比較的厳しい偏差値を出すのは東京というメガロポリスには2000万人が住んでいるから、受験生のせめぎあいがよく現れているのだろう。Kは名古屋が本社だし、模擬テストを受ける生徒の層が薄いのではないだろうか、従って法律で70なんて指標をつけている。慶応の偏差値は附属高校出身ならば偏差値60程度の西南大学に入れないような人がかなりいるが、外部生は東大、一ツ橋、京大を落ちてくるだけにがり勉で学力があるものが結構いるのは間違いない。そういう連中は法律学科か経済学部のいずれかに所属するわけで、政治学科、商学部、湘南系、文学部ではめったにみられないのは事実である。従って二つの学部以外は易しい。
 工学部は比較的難易度が高いと思う、早稲田の工学部の方が昔は難しかったが今では慶応工学部が合格しにくい。入学定数と学科によりけりだが松本ソフィアの受験生から判断すると早稲田よりは慶応のほうが難しいようだ。東大、京大、東工大の受験者が掛け持ち受験するから予備校偏差値の表す数値以上に難しいようだ。一般的に工学部偏差値は医学部に比して低いから、理系として医学部、薬学部と合体されて輪切りにされたら低い数値になるというだけのことである。
 慶応医学部は東大並みに難しいといわれてきたが果たしてそうなのだろうか、しかも附属か20名程進級するから実質的なレベルは東大には負けるだろう。現に慶応医学部の先生で学会で名をはせる人がいないのは不思議である。慶応医学部は1970年代の学生闘争で荒れたせいで優秀な医師がかなり辞職して質的に急激な下降線を描き、東大医局との差が大きくなったことがある。以来、人材が続かず進歩した技術では医局の中身が上昇トレンドへと転換していないのかもしれない(私の従姉が脳内に小さな血管内腫瘍ができた際に慶応医学部で発見できず、東大医局出身の医師が即座に発見したということがあった)。受験生れべるでは九大医学部より上であることは間違いない、なぜなら九大医学部に5番で合格したソフィアの生徒があっさりと慶応の一次で落第だったから。京大医学部より上か下かは判然としない。ソフィアではここ数年間で京都医学部には2名合格したが、二人とも慶応を受験していないから判断材料がない。
 慶応は昔から国語を受験科目とせずに、論文を活用してきたが、経済学部の論文、商学部の論文はともに受験生にとって難しいものだ。大学のゼミ教材の類が問題にでるだけに論文受験者は厳しいだろう。経済、商学部にはいるには数学受験者が有利である。となると、国立系統の受験者が有利である。ただ、慶応が国語を科目として導入しないかわりに英語が難問となっている。昔から慶応は英語に重きをおいてきただけに英語苦手な人は合格できないだろう。このことは全学部に共通していえよう。入学後も英語が3コマあるし、進級試験では必ず鬼みたいな教師が生徒をとっちめる。語学を1つ落せば留年だから、国立大學のように数単位を落として進級保留だといいつつも実は学年はあげてあげるような甘さはない。このへんが慶応の中身をしらない人達に分かっていないことである。
 附属高校から進級する生徒は語学の弱い連中がかなりいるから、彼らは落第しないように語学の授業はサボらないという鉄則をもっている。出席完璧でも彼らの大半は語学成績はC判定で授業中も教師に馬鹿にされるし、屈辱を受ける。そういう附属の一般的な生徒は就職は上手く立ち回り、就職後は出世していくのが世間のやっかみのもとなのだろうか。実は附属高校はそういうことがスマートにできる生徒を育成していると思ってもらえばよい。それが慶応なんだと。慶応女子高だってお嬢様がたくさんいる三田にある小さな高校だが、卒業時の園遊会は高価な着物を娘達に着せてあげようかどうか悩む親もいるらしいから、大金持ちの娘ばかりがいるわけではない(私の東京の親戚に姉妹2人共に女子高卒の女性がいる。入学するにはかなりの猛弁が必要だから出世志向の強いサラリーマンエリート族の娘が多い。
 慶応の偏差値はSKYが自分たちの都合でたたき出したものだからそれが万能の合格指標にはならないとも言えるだろうが、あくまで目やすとしてみればよいだろう。偏差値は慶応の学生レベルを表したものではないことは肝に銘ずべしである。なにしろ早慶で大麻事件が発生するほど大学生はドラッグ漬けである現状は由々しき限りである。福沢諭吉先生も草葉の陰で涙していられることだろう。慶応建学の精神「独立自尊」の精神にもういちど立ち返るべきである。慶応の塾長以下全て辞任して責任をとりドラッグ学生は退学させたうえで、執行部を再生しないと慶応のメッキが剥げ落ちてしまうのではないか。生粋の慶応精神を持った人が塾長となり再生すべきである。
| 受験 | 16:01 | - | - | ↑PAGE TOP
秋は受験生には分かれ目
 受験生の中には夏休みに猛烈に勉強をして力を蓄えた人もいるだろうが、逆に夏の勉強が身を結ばずに焦りを覚えている人も多いだろう。前者の方の人達は秋を勢いで乗り切れるだろうが、後者の人達は芳しくない結果に苛立ち、自信を失くしているのではないだろうか。秋という季節は長いようで短く感じるもので、まさに秋の夕暮れの如く瞬くの間に終わってしまうかもしれない。夏休みの勉強の成果が上がらないでいる人は、特にこの感が強いだろう。私はそういう人には「3つのあ」の法則を薦めたい。焦らない、慌てない、諦めない、という法則である。この法則は別に受験生にだけでなく、世間一般に通用する人生訓話である。秋の日暮れの早さに焦りを感じず、自分が今までしてきたことに自信を持って慌てずに、そして最後まで諦めずに
努力して欲しいものである。英語にも次のような格言めいたものがある。
Hurry up,but carefully. これも追い込まれた人には肩の荷が軽くなり、緊張感がほぐれるような英語らしい軽妙な言い回しである。
 兎に角追い込まれると人は焦るし、自分を見失い失敗しがちである、そして諦めてしまう。秋という季節はまた今までしてきたことに、ふっと疑問をもってしまうような誘いをかけてくる季節でもある。志望校、志望学科、勉強方法、勉強の場所を変えてみたらどうだ?といったささやきがどこからともなく聞こえてくる季節である。そういう時こそ初心に戻り、自分が志望校や学科を決定した当時の自分の気持ちを思い出して欲しいものである。受験生は人生のような長いスパンの中ではなく、実に短いスパンの中で様々な意思決定を迫られる、実に過酷な戦いに身をさらしている。それだけに、受験生の孤独な戦いにならないように、家族や友人、教師のサポートが必要である。受験生は孤独感を強くもたないように気をつけて欲しいものだ。少しは精神的に余裕をもって勉強してもらいたい。
 10月は多分瞬く間に終わるだろうが、焦ってはいけない。自分に自信が戻るような問題を解いたり、模擬テストを復習したり、教科書で見落としている部分を探したり、志望校を決定したときの自分を思いおこしたり、足元をしっかり固めてほしい。そして、模擬テストで結果がでなっかたことを素直に認めて、できる限り弱点を減らすことが肝要である。焦らずに、慌てずに、諦めずに、以上のことを確認してみたらどうだろうか。努力して、結果が出ないならばどこかに狂いがあるはずだから、それを是非とも探して前進すべきである。そうでないと、努力した甲斐がなくなるだろう。
 スポーツでは数少ない有能な人にしかスターになれるチャンスはないが、受験勉強は努力家がスターになれる世界である。意思を強く持って、目的に向かっていきながらも、自己分析を怠らず、教科書の基本を忘れずに、素直な気持ちで勉強すれば大丈夫である。気力、体力、脳力、素直な目と気持ち、そして持続力を維持していけば自ずから結果はついてくる。


| 受験 | 20:07 | - | - | ↑PAGE TOP
仮定法のotherwiseの用法と訳出に関する考察
最近は受験勉強の具体的な内容について書くことをしなかったが、今日は時間ができたから仮定法で勉強する"otherwise"について気がついたことを書こうと思う。
以下の文章は先週の金曜日に英語を生徒に教えた文の一節である、そのまま引用してみよう。
Humor is an aspect of human behavior that, in contemporary society, is either taken too seriously or not seriously enough. At one end of the scale are those who believe that laughter can influence the outcome of serious diseases; by contrast, in conventional medical schools it is not mentioned in the curriculum at all. It seems likely that, among other things, humor is an important behavioral mechanism by which some people cope with the world and put into perspective certain threatening events that might otherwise seem overwhelming. It is possible that humor evolved (probably at the same time as symbolic language) as a means of putting a frame around something that appears to threaten the individual or community.

 上の文章は医者が患者に対応する際、ユーモアをどう活用すべきかという文の一節である。
この文章の中で"that might otherwise seem overwhelming"を和訳する際に、生徒の一人がotherwise の内容をcertain threatening events
と理解して「それなしには」と和訳したわけだが、彼は本来otherwiseが前文の主語と述語を受けてif〜 not〜 の内容において使われることを、言い換えると、この文章ではput into perspective certain threatening eventsを受けて、if some people didn't put into perspective certain threatening evnts=otherwiseと理解していなかったのである。
 このotherwiseを含む一節を和訳してみよう。
「ユーモアとは、とりわけ、一部の人たちにとっては現実の社会に対応し、もしもそういうことをしなかったら、押しつぶされてしまいそうに思えるかもしれない恐ろしいある出来事を(昨日の東北地方の地震、ガン宣告等)冷静に(または大局的に)見据えるの際の手段となる、行動をする際の重要な仕組みである。」となる。
[otherwise についての一考察]
otherwiseを先に和訳すると私のような訳出となる、即ち、英語では後に書かれているotherwiseが日本語では先に和訳される。これは言語の仕組みの違いからくる大きなずれである。こういうずれが気になりすぎると、私の書いた日本語訳には違和感を持つ向きがあるはずだ。英語を上から読むことに馴れた人たちもその感を強くもつだろう。
 またこの一説には日本人が和訳する際にてこずるby which のbyに関する私の訳技術を見て欲しいものである。従来ならby which のbyを過剰に意識して
「それによって現実社会に対応し。。。」と始まり、その結果として、andから以下の部分が、mechanismを先行詞としている修飾部分であるにもかかわらず、そうでないように見えてしまう日本語の表現にならざるを得なくなる。私の訳出のように、byを「.....する際の手段」と書けばまだ、better
じゃないだろうかと思う。
 いつも英語と日本語の仕組みの違いに泣かされ、過敏に対応している人がいるならば、こう私の説明で納得していただけるだりうか。

[類似例に関する考察]
 因みに、otherwiseが関係詞の文章中で使われている、上述の文章と類似の文を旺文社・中原道善氏編集の「基礎英文問題精講」146Pに1つ見つけたので引用してみよう。
 On the other hand, television programmes do sometimes, without any real intention, stimulate people's curiosity to pursue interests and
read books which they would not otherwise have known about or understood.
和訳もそのま引用すると「反面、テレビの番組は、実際にそうする意図はなくても、人々の好奇心を刺激して、テレビがなければ彼らが知ることや理解することができなかったかもしれないものごと興味をいだいたり、書物を読んだりするようにさせることも確かにある」この和訳は思うに、文中のotherwise を"if there were no television programmes" と誤解している印象を与える。"if not to pursue interests" と理解すべきである。
更に言えば、関係詞節のwhich...はbooks を限定的に修飾する文なので、訳出する際には「テレビ番組は実際には意図していなくても、人々が興味を追及しようして、もしそうでないと、彼らがそれらについて知ったり、また理解することもないような本を読みたいという気持ちにさせる好奇心を刺激することが実際にある」とすべきである。
受験生の人達には難しいかもしれないが、この2文は東大のようなハイレベル大学の入試ではかなりの配点上の差が出てしまうものだろう。
さらに英語に関して書きたいことがあるが、今日はこの程度で終わろうと思う。梅雨に入った九州地方だが、受験生諸君は大いに勉学にいそしんで欲しいものである。次回は英語で面白い部分を書いてみようと思う。
| 受験 | 15:44 | - | - | ↑PAGE TOP
河合塾予備校も黄昏時。。。
およそ10年前に私が河合塾をやめたときの九州本部長が「後10年は戦えるでしょう」と言ったが、今年の大手予備校の集客率はどうなっているのだろうか。福岡河合塾は昨年大麻販売が予備校内で発覚して生徒はかなり減少のようだ。私の塾から一人も河合へ行かないのだから、その不人気ぶりは群を抜いている。おそらく1200人もいれば御の字だろう。福岡代々木の凋落振りもひどい。福大、西南を受験した人は20万円も割引くといった、わけの分からない特典をぶりまわしたが、集まった生徒は少ないようである。代々木の生徒の少なさは3年前から目だっていたが、サテライト授業の導入で尚更減少していると思われる。先生のリストラも過激な予備校であるから、若い先生へと一新中なんだろうが、生身の先生が授業をすることへ信奉を持っている向きは、代々木へはいかないようだ。だから、かなりちゃらんぽらんな生徒が集まってしまうのではないか。一旦悪くなってしまうと、坂を転げ落ちるかのごとく転落の軌跡を歩むのではないかと懸念される。一方、福岡駿台が案外生徒を集めているのではないかと思われる。福岡駿台の主力講師は京都校から飛行機でくるから、生徒の質問にたっぷり時間をかけて応えてやれない欠点がある。もう一つは、学校法人の認可を受けていないために、学割がきかない予備校だ。3月に手間暇をかけて学割が効かない交通費を補填しているとか。ともかく駿台は地道に福岡に根付いてきているようだ。もう一つの駿台の欠点は京都校の講師と地元の講師の力の差が大きくて、クラスに来る講師陣の力量がアンバランスであることだろう。下のクラスへは良い先生が来る可能性は少ないだろう。5年前くらまでは福岡河合には全く太刀打ちできなかった駿台がよくも1000人もいない少人数で生き残ったと思う。一度逆転されると河合はもう切り返せないだろう。
 福岡河合塾は創設から15年のスパンが最高に充実した時期だった。講師は若くて、かなり勉強家がいたし、ハングリー精神も強かった。私が河合をやめた頃から、がたがでてきた。河合福岡校の英語講師は駿台なんかには負けないレベルの地元講師が揃って、キャラも強かった。私もそのキャラが強い講師の一人だった。講師同士のいさかいもしばしばあったし、九大受験問題の解答解説の担当者の席を他の講師から奪ってテレビに出演した講師もいた。よくも悪くも講師陣に活気があった。
 兎も角、人気が出ないと給料が上がらないから、講師は必死で自分の人気を上げようと努力していた。生徒にニアミスをして肉体関係をもった挙句、首になった講師もいた。10年前までの福岡河合塾はまさに飛ぶ鳥を落す勢いだったといえる。しかし、良い時が、悪いときの始まりであった。女子生徒と肉体関係を持つような講師は、いくら熱心でも狂っている。その狂った講師を踊らせ、札束で顔をひっぱたいて金儲けにまい進したのが、先代理事長河合氏である。彼は日本興行銀行で取締役をした後に山一證券へと出向、山一所見在職時から河合塾の経営に参加した人である。彼には河合塾を日本一の予備校にしたいという強い願望があった。河合氏自信がハングリーの塊だっただけに、河合塾の全国展開のステップは駿台、代々木よりも速かった。
 今は大人しい息子さんが河合の理事長であるが、大人しすぎて予備校経営者には向いていないような人物である。何しろ、予備校講師はガラが悪いし、我は強い、頭は下げない、暴力は奮う、大酒は食らう。あまり誉められるべき要素がない。ただ勉強が好きで、教えるのが好き、そして目立ちたがり屋ななのだ。こういう連中をコントロールして大手予備校を経営するのは苦労が多かろう。前の河合理事長は人間コントロールが上手かった。あの大人しい息子さんは無理だろう。
 私が福岡河合をやめた後で、女子生徒と性的関係をもつ講師2人を直ぐに首にして、更にセクハラ規定を設けたと聞いてはいたが、福岡校の危うさはその程度では防ぎきれなかった。それが昨年の大麻販売事件である。河合OBの九大現役生までが事件にからんでいた。数年前から「河合の食堂は、合コンと出会いの場」だという噂をきいていたが、まさか大麻を販売するような輩まで堂々と河合塾に出入りをしていたというのは、善良な父兄からは許されないのである。あの事件に対して福岡河合塾は校舎長のいい訳がましい釈明が、新聞の片隅に掲載されていたが、本来は河合塾長の記者会見があってしかるべきであったろう。まさに、人の良い息子さんは全くもって詰めが甘かった。河合にはまだ友人が残って仕事をしているから、あまり暴露めいたことは書きたくないが、この程度なら許されるかなと思う。河合塾といえば私には懐かしい響きをもつが、カワイソウナ塾にならなければ良いがと思う。
 
| 受験 | 18:45 | - | - | ↑PAGE TOP
公立中学生への塾費用援助
 東京都が公立中学の3年生73000人の中から、年収200万以下の所帯の生徒に限り無利子で年間15万円の公的補助を、更に高校3年生900人に年間20万円の補助をすることにしたそうだ。都立の公教育も瓦解して久しいが、遂にくるところまで来てしまったという思いがする。久留米の公立高校は今も尚比較的安い特別料金で補修授業が行われているが、都立高校はこのような補足的なシステムを行わず正規の授業のみで教育をしてきた。都立の教師は「やる気はない、力はない、誠意はない、学校にはいない、校外活動はお盛ん」いう教師の風上にも置けない連中がとぐろを巻いている。特に国立市の都教員はとにかくしたいほうだいの風潮が強かった。授業が済めば生徒より早く帰る教師がごまんといるわけで、テレビにでてくるような熱血教師は直ぐにやめちゃう。これが現状である。力ある教師は予備校に変名で教えにいくのが当たり前の世界。これで都立に人気が出ろというのが無理な話ではないか。私立に生徒を掻っ攫われた旧制名門都立高校に少々の力を注いでも全体の底上げは不可能な情況である。
 東京の公立中学の学校崩壊の程度に関しては、私は詳細な情報はないが、私立中学校生の残りの生徒達で構成されるクラスの運営はどうなっているのだろうか。東京の私立は数が多いだけに、久留米辺りの田舎と比べると久留米の公立中学校よりも、学力偏差値の低下が大きいのではないだろうか。
 お金がない家庭の生徒のみに限り塾へ行く費用を補助するそのまえに、なぜ現場の教師を活用して補習授業をさせられないのか?それほど教師はやる気がないのか、都は補助費のほうが教師への給料よりも安上がりと判断したのか。教師の組合が強くて反発を恐れるのだろうか。200万までは出すが、200万を1円でも越えた家庭には補助しないというのは、憲法の平等の要請に反するのではないか。私はいろいろと考えさせられる。
 私の高校の同級生には、電気料金が払えずにろうそくをともして勉学に励んだ人がいた。今では嘘みたいなはなしだが実話である。彼はその後、早稲田へ進学して苦学した。どれほどの苦学を彼が強いられたかは知らないが、彼が苦学の中から得たものは大きかったことだろう。公立学校はこういった苦学生が今も相当数いるはずである。電気を止められたりする家庭の子供もいるだろう。こういう生徒達に率先して指導ができるような資質の高い教師を県や都は採用すべきだろう。成績はそこそこで、やる気はなく、公務員とういう安定職業という点のみを重視して求職する人は排除すればよい。教師の世界は非常にコネがものをいうとも言われる。力はないがコネではいった公立教師は住み心地の良い学校を最初からあてがわれたりもする。コネもなく実力で入った教師は、新任の場所は学校崩壊の場であることがおおい。
私の後輩が九大から高校教師の成り立てのときの着任校は、農業高校であった。抜群の力を秘めた彼のような教師をそういった学校へ着任させる教育委員会や、教育主事のセンスを疑った。案の定、彼は10年後には退職して、一念発起の後、学位をとり今は国立大學教授である。
 優秀な若手教師がやる気をなくす今の教育の現状が、学校を崩壊させたのではないか。立派な先生がいない学校に立派な生徒が育つはずもない。たかだか20万円拠出したところで、債権は焦げ付いて投資したお金も戻らないだろう。勉強の意欲がある苦学生を育てて、将来その一部に教師になってもらい、熱血先生に育ってくれるならいいのだが。石原都知事はお金のある家庭に育っただけに理想論が好きな人のように思う。人柄が良いのではないだろうか。逆に言えば現状認識が甘いと思う。
 高校教師を昨年家庭の事情で早期退職した友人が、昨年4ヶ月程公立中学の非常勤講師を務めた。兎に角悪がきを抑えるのに一苦労したらしい。特に中学1年生が最悪だったらしくて、座席にすわらないのが4名いたとか。彼らを力で座席に座らせるのに10分かかり、彼はそういうことを授業の都度していたら、手の指のつけねが腱鞘炎になってしまった、と言うのである。生徒を殴っちゃいけないから、彼も我慢していたそうだが、堪忍袋がとうとうきれて投げ飛ばしたそうである。投げられた生徒は彼の強さに驚き、以後はおとなしくなったということ。彼は剣道7段の体力があるからこういうこともできるだろうが、女性の先生は無理だ。年配の先生も無理。体育教師くらいしか対応できないだろう。私が中学生の頃は、先生はよく生徒を殴っていた。私も殴られて頭にきたこともあったが、やはり非は自分にあったのだから、仕方のないことだったと今では思う。中学生は身体も大きくなっていく時期だし自信も湧いてきて、自分のやりばのない感情を抑制できない時期である。
弱いものはいじめられ、強いものは威張りくさる、言わば「動物の弱肉強食」がまかり通る。こういう世界では公立の中学教師は身体をはって指導できる人でないと治まらないだろう。
 私立中学生の方は勉強ができるから、公立でみられるような教師の苦労はないだろうが、勉強ができないと学校が全く面白くなくなるという負の効果も生じうる。私立では社会性を喪失した「オタク」になる生徒がかなりいるとも聞く。ある私立の進学校では中学生の中途退学が増えて、150名の同期性が卒業時には110名程度まで減少したという。私立進学校でも授業に適応できない生徒が増加しているのである。公立も私立も学校には変わりがないが、日本の私立と公立の現状は進学レベルと親の経済力だけで分別されつつあるだけに、その将来を大いに憂うべきである。だから、都は公的な補助でもってこのギャップを埋めようと大胆な政策を講じたのだろう。本来国がするべきことを都が肩代わりしている。豊かな財政力を誇る都だから可能だが、福岡県なぞには絵に描いた餅同然であり、出来はしない。涙ながらに経費の節減を市長に訴えていた橋下知事にはできはしない。財政豊かな都の都民のみが享受できる制度だから、法の下の平等に著しく反する政策であるといわれても仕方ないだろう。
 少子化とともに競争もゆるやかになり、お金があればボンクラでもそこそこの私立中学へ進学できる。お金がないと秀才でも勉強の環境に恵まれない。こういうスケールのゆがみは、やはり国家が責任を持って是正すべきであろう。都がやきもきしてもゆがみがなくなるものではないと思う。
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