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<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>松本ソフィアアカデミーBLOG</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/" /><modified>2009-01-03T18:40:05+09:00</modified><tagline>松本ソフィアアカデミーのblog</tagline><generator url="http://jugem.cc/">JUGEM</generator><entry><title>センター試験ではウィットを使おう</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=695395" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=695395</id><issued>2009-01-03T18:40:05+09:00</issued><modified>2009-01-03T09:40:06Z</modified><created>2009-01-03T09:40:05Z</created><summary>国立系の受験生は現在センター試験で猛烈な勉強を強いられていることだろうが、勉強の素材は過去問にあることを忘れないように。Ｚ会、ベネッセ、代々木、駿台、河合と手に入る練習テキストの数は事欠かないが、本命は過去問である。受験生は意外と過去問を使わないで勉強...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[国立系の受験生は現在センター試験で猛烈な勉強を強いられていることだろうが、勉強の素材は過去問にあることを忘れないように。Ｚ会、ベネッセ、代々木、駿台、河合と手に入る練習テキストの数は事欠かないが、本命は過去問である。受験生は意外と過去問を使わないで勉強しているようだが、本番が近付くにつれ不安になるほど、過去問研究を怠ってはいけない。市販テキストは形はセンターを踏襲しているが、出題の内容や、出題ポイントの抑え方は本番の問題とはかなり違いがある。過去問はここ三年間の問題で十分特徴がつかめるが、できればもっと昔の問題にも目を通しておいたがよいだろう。数学、物理、化学は出題範囲が４年前の問題では異なってはいるが、<br />
重複分野は見ておく価値がある。センター問題も年々いびつさをましてきていることを反省してか、今年からは過去問を再度採用することになったのを忘れてはいけない。<br />
　センター試験を受験する際に個人の得点を大きく左右する一つの要素として、個人の持つウィットではないだろうか。努力するわりに得点が上昇しない人は、受験の際のウィットの使い方がうまくないようである。特に、英語や暗記モノの得点に影響力大のようだ。<br />
　例えば、センターの英語は最近読む量が増えているが、内容は難しいものではない。８０分という制限時間で小気味よくウィットきかせて解答する受験生は９割は得点するが、一方、そういう受験生と単語力はさほど変わらないが、７割くらいしか得点できない受験生はウィットを使わないで、必死で真正面から問題にとりくんで失敗するようだ。センター英語の中でナーバスになるのは、長文空所補充と図表問題だが、その前後にある問題はまさにウィットをきかせれば、言い換えると、受験生の言う、カンで十分対応できるし、カンをフルに使わないといけない。最後の長文が難しい場合は英語の平均点は１０点以上下がるから、今年の最後の長文が読んでる最中に難しいと感じたら、あわてないことだ。他のみんなもそういう時は焦ってるんだから、自分一人だけ狼狽する必要はない。図表問題までの解答所要時間は４０分を目途にやってもらいたい。例年出題される絵の問題は易しいから、素早く解いていき、長文を料理する気持ちで臨むべきだろう。次に、英語の得点を左右するのは、単語力である。今の受験生は明確に単語の意味を記憶せず、曖昧なとらえ方をしている向きがかなり多い。センター英語は過去問を研究すれば、過去使われてきた単語のレベルが把握できるのだから、やはり冒頭で述べて通り過去問研究は大事である。WITの意味をCONCISE OXFORD英英辞典で調べてみると次のように定義している: quick understanding。<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>今年は大騒動だった</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=694611" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=694611</id><issued>2008-12-31T14:32:23+09:00</issued><modified>2008-12-31T05:33:00Z</modified><created>2008-12-31T05:32:23Z</created><summary>　国内政治情勢は福田首相がドタキャン辞任をした時に記者に突っ込まれた挙句あの言葉、「私の気持ちは貴方にはわからないでしょうね」。一国の宰相たるものが言うような言葉ではないと誰しも思っただろう。あの言葉は夫婦喧嘩したあげくのどちらか一方の捨て台詞ではない...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>政治</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　国内政治情勢は福田首相がドタキャン辞任をした時に記者に突っ込まれた挙句あの言葉、「私の気持ちは貴方にはわからないでしょうね」。一国の宰相たるものが言うような言葉ではないと誰しも思っただろう。あの言葉は夫婦喧嘩したあげくのどちらか一方の捨て台詞ではないか。夫婦喧嘩レベルの言葉で辞職する宰相を生み出した日本政治での人材不足は眼を覆うばかり。いつからこうなったのか、私の虫歯と同じで国会は知らないうちに中から蝕まれてしまっている。どんと来いというような男らしい政治家がいなくなったのが情けない。<br />
　さて話は変わるが、大牟田と久留米には自民党大物議員が２人いらっしゃるが、２人とも首相に名乗り出るきはないようだ。大牟田選出の古賀誠などは絶対に表には出ずに、こそこそといろんな謀略めいた仕掛けが得意なだけで、国士からほど遠い政治家である。土建業界にさえ金をばらまけば景気は良くなると妄信している、アナキスト並みの知能指数の持ち主ではないか。彼なぞはインターネットで世界中の記事を読むこともせず、新聞離れが猛烈に進みつつあることもしらず、インターネットインフラを全国に作り、もっと安いピロバイダー料金の設定が必須であることには全くの無関心である。田舎の田んぼの中までアスファルトにしてしまったことが逆に自然環境を壊していることなど知ろうともしない。有明海沿岸道路も地盤沈下一方の大牟田と農業県佐賀の連結をしてどれほどの経済効果がでるというのか、もっと性急な問題を抱えた中小企業一般へどうして優先的にお金を回そうとしないのか、知能指数が低すぎる。<br />
　一方、久留米選出の鳩山邦夫は苦労知らずのボンボン育ち。東京では人気がなく選出されないから久留米に落下傘候補として勝手に舞い降りてはきたものの、田舎での政治家作法が分からずに人気もない。久留米の議員として大きな仕事をしたのは明治通りにクリスマスのイリュミネイション設置のお金２０００万を国から貰ったくらいで、古賀誠のような道路族でもないからお金を久留米に持ってこれずにいる。古賀誠は久留米市に覇権を広げんと土建屋の連中にかなりの圧力をかけるから、明日から３日間は、彼のところへおべっか使いに参賀する建設会社は１０００社を下らないとのことだそうだ。大いに狂っている地方政治である。<br />
　珍しく私が政治のことを書いているのは、皆さんも日本政治の体たらくぶりには呆れて、憤りを感じている方も多かろうと思うからである。受験生もかなりの人が私のブログを読んでくれているようだから、もっと政治に関心をもってほしくて、敢えて日本政治をテーマにした次第である。若者はもっと政治に関心を持ってほしいと私は思う。若者たちの政治への無関心が強くなるほどに、アホな政治家を生む土壌を作りだしたことをわかってもらいたい。受験生は合格目標を達成さえすればいいのだという視野狭窄な考えをもって大人への道を進んでほしくないのである。古賀誠はたかが日大出身で、馬鹿でも入学できるレベルの大学の卒業生。鳩山邦夫は東大文?にトップ合格で今でもそれだけが自慢。そして現在の二人の力関係は古賀誠の圧倒的な勝利である。二人の生きざまはまさに今の日本全体の社会を象徴していると皆さんはおもわないだろうか。人が嫌がる、警察にパクられそうな危険を冒しながらも出世した古賀誠と、いい恰好ばかりして、パクられそうなことには近づかないで東京から放り出された鳩山邦夫。二人は政治家としては両極に位置し、互いの政治手法を認めないていない。この二人の間に位置する信念の強い政治家が出現しないのが日本政治の悲劇ではないか。久留米には明善高出身の古賀一誠がいるが、どうも民主党の中で存在感がない。もう２人明善高出身の参議院議員がいるが名前すら浮かんでこない。どうも、中間的存在である議員はからっ迫力がなく、ただバッジをつけた国会議員である。<br />
　政治が機能しないのは一般大衆的な陣笠議員たくさんいて、強権をもつ議員の顔色をうかがいい、信念もなく、所信を親分に向かって言うわけでもなく、脱党する勇気もないからである。彼ら陣笠議員は信念もなくただ就職ポストについた国会議員という職についた給料取りにすぎない。日本人は民主主義政治は一般大衆が決定意的な力を発揮することを分かっていなくて、選挙にもいかず、政治の見物人を決め込む無関心層が今の政治を作ってしまったのである。<br />
　マンガなどを愛読するような政治家が一国の宰相たる器でないのは当然のことなのに、あのレベルが宰相になってしまい、混迷を極める経済情勢に右往左往する現状を、皆さんはどう思ってるのだろう。笑って見過ごせますか？仕方がないなとあきらめますか？民主党に変わってもどうせ同じだとおもいますか？建築業者は民主党に変わられたら失職するとでも信じているのでしょうか？小沢は胡散臭いと思われますか？一票を投じる価値もないと思いますか？しかし、皆さんの強い意志がた大きな波を作り出すことを実感したいと思いませんか。大衆の政治参加なくしてはまともな政治は作りえないのだから、くだらんと思わずに１票を是非投じて政治に参加しましょう。自分がこれだと思う党や候補者に投票することが民主主義なんです。<br />
　日本という国は外圧でもって政治形態、社会形態をかえてきたとういう消極的な国民性を共有しているがゆえに、政治は変わらず、土台は崩れつつある。私は今の政治は、明治維新以来続いてきた借り物の民主主義の名のもとに行われきた、官僚政治の断末魔ではないかと思う。戦争には負けて憲法は改正され、天皇の人間宣言、農地改革たが、官僚制度は全く変わらずに続き、無責任でご都合主義の官僚が多くなったのが土台の根がくされてきた原因だと思う。古賀誠のような道路族のドンに命がけで意見を言おうとしない官僚が悪いと思う。江戸幕府倒壊の際に、官僚に相当する幕閣の体たらくは眼を覆うほどだったらしい。旗本達は尻尾を巻いて逃げだし隠居をし、幼子達に跡目を継がせて、西郷率いる維新軍への盾としようとした。すなわち、今の日本では盾となって国を守る気概をもつ官僚はいないのだろう。いたとしても、ものが言えないのだろう。地方出身の政治家なんて地方の建築業者の言いなりで、大局的な見方はもとうとしない、数で勝るそういう連中の言いなりに、財務省は国債の発行を決定した。若い皆さんの借金は増すばかりで。。。。国民一人当たりの借金は６００万を超えてしまった。このままいけば日本はデフォルト宣言をしなくてはいけなくなるんじゃないだろうか。いや、日本よりもアメリカのほうがデフォルト宣言をするかもしれない。<br />
　混迷を深める世界経済、中東火薬庫での戦争。リストラによる派遣社員の大量解雇。寝る場所もないホームレスの増加。弱者同士が傷つけ合う犯罪。<br />
受験生だってこれだけ騒々しい社会にいると、勉強も集中できずに、倦怠感が生まれ、無目的な生き方に傾く恐れもあるかと思うが、これほど狂った社会に今いるのだからこそしっかりと目を開き、学ぶべきこと、すなわち人間のしかるべき生きざまをまなんでもらいたいものだ。私は中庸の精神を強く持ちかつ実行することが大事だと思う。アメリカで生まれたデリバティブという債権投資術の失敗を見ても分かるように、中庸の精神を忘れた禿鷹ファンドのやりくちは人間の心を喪失したものだった。ブッシュのイラク侵略ももっと穏便な外交戦略をとれたはずなのに、ネオナチ的なブレーンの言うがまま作戦実行し、いかほどの命を奪ったのか。中庸の精神は抱くに優しく、実行と保持は難しだが、これが人間本来の生きるべき姿ではないかと思う。特に、力も金もない一般大衆の私達にとって。健康で、家庭円満、お金はそこそこあればよい、路頭に迷わないならばそれでよし。<br />
　皆さん来年もよいお年を迎えて下さい。運はこのわが手で掴みましょう。政治には積極的に働き掛けましょう。皆さんが健康を維持されてまた良き一年がくることを祈念いたしております。]]></content></entry><entry><title>迫りくるセンターテスト</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=693391" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=693391</id><issued>2008-12-24T22:08:19+09:00</issued><modified>2008-12-24T13:12:03Z</modified><created>2008-12-24T13:08:19Z</created><summary>毎年恒例のセンターテストまで残すところ３週間とわずかになってきたが、受験生は問題練習に忙殺されているだろう。ここ数年で一番注意を要する学科は数学?Ｂであることは間違いない。計算量が多いし、６０分ではこなせない内容をもつ。ゆとり世代にはゆとりが全くないハ...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[毎年恒例のセンターテストまで残すところ３週間とわずかになってきたが、受験生は問題練習に忙殺されているだろう。ここ数年で一番注意を要する学科は数学?Ｂであることは間違いない。計算量が多いし、６０分ではこなせない内容をもつ。ゆとり世代にはゆとりが全くないハードな内容である。今年も多分きつい問題が出題されると心掛けるべきだろう。出題内容は、指数対数、数列、ベクトル、微分積分、三角関数であるが、注意を要する出題分野は数列、三角関数、ベクトルである。この３つの分野の最近の出題傾向はスタートからつまづきそうな問題提起をする点である。必ず、ここ４年分の過去の問題を研究しておくべきである。数列問題は特に出題者の誘導がすぐに理解できないような遠まわしな解き方を受験生に求めるから、気をつけるべきである。昨年の三角関数は動径という用語を理解できないでとまどった受験生がいたようだが、今年も教科書のどの部分から突っ込みをいれてくるのか興味深々である。周期や、角度の回転、和積の基本から突っ込みをいれてくるおそれがあるようだ。ベクトルは空間のほうが出題される可能性が高いような気がする。空間のほうが計算は複雑だが問題の深みはないだろう。平面ベクトルになると、図形をからめて内分、外分、内心、外心、垂心、面積など多様な展開が考えられる。ともかくあっさり解けるものは出題しないだろう。昨年は特に問題量が多すぎたし、文系の生徒には酷な内容だっただけに次回は分量を減らしてきそうである。<br />
　英語は例年通りのレベルだろう。読む量は増えているが、内容はやさしいから、前半の文法４択問題、会話の３つの問題、整序作文までをとりこぼしのないようにいくべきである。４択問題は２〜３問は悩ましいレベルがでるが、そういう場合は必ず消去法でとくべきである。消去する力がないなら運に任せるしかない。会話の３問も英語苦手には間違うように、知らない単語で突っ込みをかけられる。悪くすれば３問とも失敗しかねないだけに、過去問の単語を研究して備えるべきだ。英語の過去問研究とは出題されたすべてのの問題のなかで使われた単語をチェックするがベストである。会話や長文、４択、作文などで使用された単語を回転使用しているのがセンター英語の特色であることを忘れないようにしてほしい。<br />
　ゆとり世代になって物理が最もやさしくなったが、それは計算量が減ったせいである。教科書が計算量が減った内容になっただけに今年も変わりようがないだろう。なにしろ、５〜６年前には中学校で履修した内容が高校へ移行されたのだから、物理の安易化はノーベル受賞者の小林博士が文部大臣に文句をいいたくなるほどのものである。<br />
　化学はゆとりになって物理に比して安易化していないのではないか。科学?は暗記嫌いな生徒には結構いやな分野のようだ。きちんと暗記していないと７０点くらいしか取れない。<br />
　国語は小説に苦手な男子生徒にはビクビクものだろう。そして、古文ができない今の生徒たちが多いのにびっくりである。古文の授業時間が減ったことと生徒が古文への関心が薄いことが原因だろう。古文の語形変化が全く身につかないのは、古文言葉のニュアンスが分からないでいるんだろう。外国語である漢文のほうが現代っ子はまだニュアンスがわかるというから、古文は今や外国語になったのではないか。こういう現場の現状をかんがみて出題者も平安、鎌倉、室町といった古文でなくて、江戸時代の擬古文以降の文献使用にとどめるべきではないだろうか。<br />
　社会は俄然現代社会の受験者が増加している。歴史、地理ばなれが進行しているだけに、次回のセンターは現代社会の難化が予想される。受験生はよくよく過去問の研究を怠ってはいけない、予備校の出版した練習問題では本番のような傾向はなかなかつかめないから、常に赤ホンに戻り、確認し、予想を立てる勉強を是非とも実行してほしい。過去問にはセンター試験の「遺伝子的特徴」がある、それを見破ればＯＫ！見破る力を養うべきである。<br />
]]></content></entry><entry><title>慶応の実質偏差値はいくらか？</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=686028" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=686028</id><issued>2008-11-16T16:01:52+09:00</issued><modified>2008-11-16T09:59:45Z</modified><created>2008-11-16T07:01:52Z</created><summary>　友人が慶応の偏差値に関しての記事「慶応の偏差値はマユツバものだ」というメール送信してきたから記事内容を読んでみたが、３つの大手予備校ＳＫＹでも２くらいずれているようである。慶応で一番の難関は医学部、次は法学部法律学科、経済学部、工学部でその後の学部は...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　友人が慶応の偏差値に関しての記事「慶応の偏差値はマユツバものだ」というメール送信してきたから記事内容を読んでみたが、３つの大手予備校ＳＫＹでも２くらいずれているようである。慶応で一番の難関は医学部、次は法学部法律学科、経済学部、工学部でその後の学部はうやむやではないだろうか。慶応第一志望受験者は文系ならばどこの学部でも受験してしまう傾向がある、要するに慶応の名前がついておけばよいと考える向きが多い。文系で入り易いのは商学部、政治学科、湘南系統だろう。ただ湘南系統の学部はどんな勉強内容か入学してみてみないと分からないような得たいのしれない学部ではある。文系なのに数学が少し得意な学生が入る傾向がある。環境系統のゼミではロボットや車を作って工学部まがいのことをしたりしているようだ。慶応と言えば昔から経済学部が伝統的に難関だったが、経済学部の人気凋落の影響と、法律学科＝司法試験の人気度アップで比較的易しくなっているようだ。しかし、法律学科も法曹界のゴタゴタが原因で一昨年ほどの難関ではなくなるだろう。<br />
　慶応には附属高校があるせいで、実は大学から入学する学生との学力差はかなり大きいのは事実である。附属高校卒の生徒はイージーな連中が多くて大学生活をエンジョイして速やかに就職するものが多数を占める。コネと要領の良さ、毛並みの良さが売りであるし、学力はさほど重視しない連中である。よく慶応のプレイボーイとか三田の色魔などと揶揄される連中はこの附属出身である。外部から入学する学生と内部から進学する学生の間には最初のうちは親密な交流はないのだが、朱に交われば赤くなっていくのは外部生である。４年も慶応にいれば外部生がすっかり慶応ボーイへと変身するのである。慶応の外部生は地方から来ている連中もかなり経済的余裕のある家庭出身が多いから、慶応ボーイへと変身するのも当然だろう。実際に附属出身の慶応ボーイはサラリーマンエリート族の子息が多いから、地方出身の慶応ボーイのほうが資産家や実業家の子息が多くて贅沢な連中がいる。<br />
　さて冒頭のテーマである慶応の偏差値だが、偏差値ＳＫＹがはじき出した数値指標であるから偏差値の高低は確かにその予備校が考える難易度指標であるだろう。ＳＫＹで偏差値が異なるのは予備校テストを受ける生徒のレベルでバラツクのである。偏差値がＳＫＹで同じ基準のもとにおこなわれるわけではないから、バラバラになって当然だろう。ＳＹＫの順で偏差値が上昇するようだから、Ｋの受験生がレベルとして低いということが分かる。Ｓの慶応への偏差値が低いのは、Ｓの主力部隊が東大受験生だから当たり前のことである。Ｙが比較的厳しい偏差値を出すのは東京というメガロポリスには２０００万人が住んでいるから、受験生のせめぎあいがよく現れているのだろう。Ｋは名古屋が本社だし、模擬テストを受ける生徒の層が薄いのではないだろうか、従って法律で７０なんて指標をつけている。慶応の偏差値は附属高校出身ならば偏差値６０程度の西南大学に入れないような人がかなりいるが、外部生は東大、一ツ橋、京大を落ちてくるだけにがり勉で学力があるものが結構いるのは間違いない。そういう連中は法律学科か経済学部のいずれかに所属するわけで、政治学科、商学部、湘南系、文学部ではめったにみられないのは事実である。従って二つの学部以外は易しい。<br />
　工学部は比較的難易度が高いと思う、早稲田の工学部の方が昔は難しかったが今では慶応工学部が合格しにくい。入学定数と学科によりけりだが松本ソフィアの受験生から判断すると早稲田よりは慶応のほうが難しいようだ。東大、京大、東工大の受験者が掛け持ち受験するから予備校偏差値の表す数値以上に難しいようだ。一般的に工学部偏差値は医学部に比して低いから、理系として医学部、薬学部と合体されて輪切りにされたら低い数値になるというだけのことである。<br />
　慶応医学部は東大並みに難しいといわれてきたが果たしてそうなのだろうか、しかも附属か20名程進級するから実質的なレベルは東大には負けるだろう。現に慶応医学部の先生で学会で名をはせる人がいないのは不思議である。慶応医学部は1970年代の学生闘争で荒れたせいで優秀な医師がかなり辞職して質的に急激な下降線を描き、東大医局との差が大きくなったことがある。以来、人材が続かず進歩した技術では医局の中身が上昇トレンドへと転換していないのかもしれない（私の従姉が脳内に小さな血管内腫瘍ができた際に慶応医学部で発見できず、東大医局出身の医師が即座に発見したということがあった）。受験生れべるでは九大医学部より上であることは間違いない、なぜなら九大医学部に5番で合格したソフィアの生徒があっさりと慶応の一次で落第だったから。京大医学部より上か下かは判然としない。ソフィアではここ数年間で京都医学部には2名合格したが、二人とも慶応を受験していないから判断材料がない。<br />
　慶応は昔から国語を受験科目とせずに、論文を活用してきたが、経済学部の論文、商学部の論文はともに受験生にとって難しいものだ。大学のゼミ教材の類が問題にでるだけに論文受験者は厳しいだろう。経済、商学部にはいるには数学受験者が有利である。となると、国立系統の受験者が有利である。ただ、慶応が国語を科目として導入しないかわりに英語が難問となっている。昔から慶応は英語に重きをおいてきただけに英語苦手な人は合格できないだろう。このことは全学部に共通していえよう。入学後も英語が3コマあるし、進級試験では必ず鬼みたいな教師が生徒をとっちめる。語学を１つ落せば留年だから、国立大學のように数単位を落として進級保留だといいつつも実は学年はあげてあげるような甘さはない。このへんが慶応の中身をしらない人達に分かっていないことである。<br />
　附属高校から進級する生徒は語学の弱い連中がかなりいるから、彼らは落第しないように語学の授業はサボらないという鉄則をもっている。出席完璧でも彼らの大半は語学成績はＣ判定で授業中も教師に馬鹿にされるし、屈辱を受ける。そういう附属の一般的な生徒は就職は上手く立ち回り、就職後は出世していくのが世間のやっかみのもとなのだろうか。実は附属高校はそういうことがスマートにできる生徒を育成していると思ってもらえばよい。それが慶応なんだと。慶応女子高だってお嬢様がたくさんいる三田にある小さな高校だが、卒業時の園遊会は高価な着物を娘達に着せてあげようかどうか悩む親もいるらしいから、大金持ちの娘ばかりがいるわけではない（私の東京の親戚に姉妹2人共に女子高卒の女性がいる。入学するにはかなりの猛弁が必要だから出世志向の強いサラリーマンエリート族の娘が多い。<br />
　慶応の偏差値はＳＫＹが自分たちの都合でたたき出したものだからそれが万能の合格指標にはならないとも言えるだろうが、あくまで目やすとしてみればよいだろう。偏差値は慶応の学生レベルを表したものではないことは肝に銘ずべしである。なにしろ早慶で大麻事件が発生するほど大学生はドラッグ漬けである現状は由々しき限りである。福沢諭吉先生も草葉の陰で涙していられることだろう。慶応建学の精神「独立自尊」の精神にもういちど立ち返るべきである。慶応の塾長以下全て辞任して責任をとりドラッグ学生は退学させたうえで、執行部を再生しないと慶応のメッキが剥げ落ちてしまうのではないか。生粋の慶応精神を持った人が塾長となり再生すべきである。]]></content></entry><entry><title>秋は受験生には分かれ目</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=676417" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=676417</id><issued>2008-10-02T20:07:11+09:00</issued><modified>2008-10-02T11:50:00Z</modified><created>2008-10-02T11:07:11Z</created><summary>　受験生の中には夏休みに猛烈に勉強をして力を蓄えた人もいるだろうが、逆に夏の勉強が身を結ばずに焦りを覚えている人も多いだろう。前者の方の人達は秋を勢いで乗り切れるだろうが、後者の人達は芳しくない結果に苛立ち、自信を失くしているのではないだろうか。秋とい...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　受験生の中には夏休みに猛烈に勉強をして力を蓄えた人もいるだろうが、逆に夏の勉強が身を結ばずに焦りを覚えている人も多いだろう。前者の方の人達は秋を勢いで乗り切れるだろうが、後者の人達は芳しくない結果に苛立ち、自信を失くしているのではないだろうか。秋という季節は長いようで短く感じるもので、まさに秋の夕暮れの如く瞬くの間に終わってしまうかもしれない。夏休みの勉強の成果が上がらないでいる人は、特にこの感が強いだろう。私はそういう人には「３つのあ」の法則を薦めたい。焦らない、慌てない、諦めない、という法則である。この法則は別に受験生にだけでなく、世間一般に通用する人生訓話である。秋の日暮れの早さに焦りを感じず、自分が今までしてきたことに自信を持って慌てずに、そして最後まで諦めずに<br />
努力して欲しいものである。英語にも次のような格言めいたものがある。<br />
Hurry up,but carefully. これも追い込まれた人には肩の荷が軽くなり、緊張感がほぐれるような英語らしい軽妙な言い回しである。<br />
　兎に角追い込まれると人は焦るし、自分を見失い失敗しがちである、そして諦めてしまう。秋という季節はまた今までしてきたことに、ふっと疑問をもってしまうような誘いをかけてくる季節でもある。志望校、志望学科、勉強方法、勉強の場所を変えてみたらどうだ？といったささやきがどこからともなく聞こえてくる季節である。そういう時こそ初心に戻り、自分が志望校や学科を決定した当時の自分の気持ちを思い出して欲しいものである。受験生は人生のような長いスパンの中ではなく、実に短いスパンの中で様々な意思決定を迫られる、実に過酷な戦いに身をさらしている。それだけに、受験生の孤独な戦いにならないように、家族や友人、教師のサポートが必要である。受験生は孤独感を強くもたないように気をつけて欲しいものだ。少しは精神的に余裕をもって勉強してもらいたい。<br />
　10月は多分瞬く間に終わるだろうが、焦ってはいけない。自分に自信が戻るような問題を解いたり、模擬テストを復習したり、教科書で見落としている部分を探したり、志望校を決定したときの自分を思いおこしたり、足元をしっかり固めてほしい。そして、模擬テストで結果がでなっかたことを素直に認めて、できる限り弱点を減らすことが肝要である。焦らずに、慌てずに、諦めずに、以上のことを確認してみたらどうだろうか。努力して、結果が出ないならばどこかに狂いがあるはずだから、それを是非とも探して前進すべきである。そうでないと、努力した甲斐がなくなるだろう。<br />
　スポーツでは数少ない有能な人にしかスターになれるチャンスはないが、受験勉強は努力家がスターになれる世界である。意思を強く持って、目的に向かっていきながらも、自己分析を怠らず、教科書の基本を忘れずに、素直な気持ちで勉強すれば大丈夫である。気力、体力、脳力、素直な目と気持ち、そして持続力を維持していけば自ずから結果はついてくる。<br />
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]]></content></entry><entry><title>仮定法のotherwiseの用法と訳出に関する考察</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=652566" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=652566</id><issued>2008-06-15T15:44:17+09:00</issued><modified>2008-06-15T08:54:07Z</modified><created>2008-06-15T06:44:17Z</created><summary>最近は受験勉強の具体的な内容について書くことをしなかったが、今日は時間ができたから仮定法で勉強する&quot;otherwise&quot;について気がついたことを書こうと思う。
以下の文章は先週の金曜日に英語を生徒に教えた文の一節である、そのまま引用してみよう。
 Humor is an aspect o...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[最近は受験勉強の具体的な内容について書くことをしなかったが、今日は時間ができたから仮定法で勉強する"otherwise"について気がついたことを書こうと思う。<br />
以下の文章は先週の金曜日に英語を生徒に教えた文の一節である、そのまま引用してみよう。<br />
 Humor is an aspect of human behavior that, in contemporary society, is either taken too seriously or not seriously enough. At one end of the scale are those who believe that laughter can influence the outcome of serious diseases; by contrast, in conventional medical schools it is not mentioned in the curriculum at all. It seems likely that, among other things, humor is an important behavioral mechanism by which some people cope with the world and put into perspective certain threatening events that might otherwise seem overwhelming. It is possible that humor evolved (probably at the same time as symbolic language) as a means of putting a frame around something that appears to threaten the individual or community.<br />
<br />
　上の文章は医者が患者に対応する際、ユーモアをどう活用すべきかという文の一節である。 <br />
 この文章の中で"that might otherwise seem overwhelming"を和訳する際に、生徒の一人がotherwise の内容をcertain threatening events<br />
と理解して「それなしには」と和訳したわけだが、彼は本来otherwiseが前文の主語と述語を受けてif〜 not〜 の内容において使われることを、言い換えると、この文章ではput into perspective certain threatening eventsを受けて、if some people didn't put into perspective certain threatening evnts=otherwiseと理解していなかったのである。<br />
　このotherwiseを含む一節を和訳してみよう。<br />
「ユーモアとは、とりわけ、一部の人たちにとっては現実の社会に対応し、もしもそういうことをしなかったら、押しつぶされてしまいそうに思えるかもしれない恐ろしいある出来事を（昨日の東北地方の地震、ガン宣告等）冷静に（または大局的に）見据えるの際の手段となる、行動をする際の重要な仕組みである。」となる。<br />
[otherwise についての一考察]<br />
  otherwiseを先に和訳すると私のような訳出となる、即ち、英語では後に書かれているotherwiseが日本語では先に和訳される。これは言語の仕組みの違いからくる大きなずれである。こういうずれが気になりすぎると、私の書いた日本語訳には違和感を持つ向きがあるはずだ。英語を上から読むことに馴れた人たちもその感を強くもつだろう。<br />
　またこの一説には日本人が和訳する際にてこずるby which のbyに関する私の訳技術を見て欲しいものである。従来ならby which のbyを過剰に意識して<br />
「それによって現実社会に対応し。。。」と始まり、その結果として、andから以下の部分が、mechanismを先行詞としている修飾部分であるにもかかわらず、そうでないように見えてしまう日本語の表現にならざるを得なくなる。私の訳出のように、byを「.....する際の手段」と書けばまだ、better<br />
じゃないだろうかと思う。<br />
　いつも英語と日本語の仕組みの違いに泣かされ、過敏に対応している人がいるならば、こう私の説明で納得していただけるだりうか。<br />
<br />
[類似例に関する考察]<br />
　因みに、otherwiseが関係詞の文章中で使われている、上述の文章と類似の文を旺文社・中原道善氏編集の「基礎英文問題精講」１４６Ｐに１つ見つけたので引用してみよう。<br />
　On the other hand, television programmes do sometimes, without any real intention, stimulate people's curiosity to pursue interests and<br />
read books which they would not otherwise have known about or understood.<br />
  和訳もそのま引用すると「反面、テレビの番組は、実際にそうする意図はなくても、人々の好奇心を刺激して、テレビがなければ彼らが知ることや理解することができなかったかもしれないものごと興味をいだいたり、書物を読んだりするようにさせることも確かにある」この和訳は思うに、文中のotherwise　を"if there were no television programmes" と誤解している印象を与える。"if not to pursue interests"　と理解すべきである。<br />
更に言えば、関係詞節のwhich...はbooks を限定的に修飾する文なので、訳出する際には「テレビ番組は実際には意図していなくても、人々が興味を追及しようして、もしそうでないと、彼らがそれらについて知ったり、また理解することもないような本を読みたいという気持ちにさせる好奇心を刺激することが実際にある」とすべきである。<br />
  受験生の人達には難しいかもしれないが、この2文は東大のようなハイレベル大学の入試ではかなりの配点上の差が出てしまうものだろう。<br />
さらに英語に関して書きたいことがあるが、今日はこの程度で終わろうと思う。梅雨に入った九州地方だが、受験生諸君は大いに勉学にいそしんで欲しいものである。次回は英語で面白い部分を書いてみようと思う。]]></content></entry><entry><title>河合塾予備校も黄昏時。。。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=639852" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=639852</id><issued>2008-04-23T18:45:21+09:00</issued><modified>2008-05-12T08:08:24Z</modified><created>2008-04-23T09:45:21Z</created><summary>およそ10年前に私が河合塾をやめたときの九州本部長が「後１０年は戦えるでしょう」と言ったが、今年の大手予備校の集客率はどうなっているのだろうか。福岡河合塾は昨年大麻販売が予備校内で発覚して生徒はかなり減少のようだ。私の塾から一人も河合へ行かないのだから、...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[およそ10年前に私が河合塾をやめたときの九州本部長が「後１０年は戦えるでしょう」と言ったが、今年の大手予備校の集客率はどうなっているのだろうか。福岡河合塾は昨年大麻販売が予備校内で発覚して生徒はかなり減少のようだ。私の塾から一人も河合へ行かないのだから、その不人気ぶりは群を抜いている。おそらく1200人もいれば御の字だろう。福岡代々木の凋落振りもひどい。福大、西南を受験した人は20万円も割引くといった、わけの分からない特典をぶりまわしたが、集まった生徒は少ないようである。代々木の生徒の少なさは3年前から目だっていたが、サテライト授業の導入で尚更減少していると思われる。先生のリストラも過激な予備校であるから、若い先生へと一新中なんだろうが、生身の先生が授業をすることへ信奉を持っている向きは、代々木へはいかないようだ。だから、かなりちゃらんぽらんな生徒が集まってしまうのではないか。一旦悪くなってしまうと、坂を転げ落ちるかのごとく転落の軌跡を歩むのではないかと懸念される。一方、福岡駿台が案外生徒を集めているのではないかと思われる。福岡駿台の主力講師は京都校から飛行機でくるから、生徒の質問にたっぷり時間をかけて応えてやれない欠点がある。もう一つは、学校法人の認可を受けていないために、学割がきかない予備校だ。3月に手間暇をかけて学割が効かない交通費を補填しているとか。ともかく駿台は地道に福岡に根付いてきているようだ。もう一つの駿台の欠点は京都校の講師と地元の講師の力の差が大きくて、クラスに来る講師陣の力量がアンバランスであることだろう。下のクラスへは良い先生が来る可能性は少ないだろう。5年前くらまでは福岡河合には全く太刀打ちできなかった駿台がよくも1000人もいない少人数で生き残ったと思う。一度逆転されると河合はもう切り返せないだろう。<br />
　福岡河合塾は創設から15年のスパンが最高に充実した時期だった。講師は若くて、かなり勉強家がいたし、ハングリー精神も強かった。私が河合をやめた頃から、がたがでてきた。河合福岡校の英語講師は駿台なんかには負けないレベルの地元講師が揃って、キャラも強かった。私もそのキャラが強い講師の一人だった。講師同士のいさかいもしばしばあったし、九大受験問題の解答解説の担当者の席を他の講師から奪ってテレビに出演した講師もいた。よくも悪くも講師陣に活気があった。<br />
　兎も角、人気が出ないと給料が上がらないから、講師は必死で自分の人気を上げようと努力していた。生徒にニアミスをして肉体関係をもった挙句、首になった講師もいた。10年前までの福岡河合塾はまさに飛ぶ鳥を落す勢いだったといえる。しかし、良い時が、悪いときの始まりであった。女子生徒と肉体関係を持つような講師は、いくら熱心でも狂っている。その狂った講師を踊らせ、札束で顔をひっぱたいて金儲けにまい進したのが、先代理事長河合氏である。彼は日本興行銀行で取締役をした後に山一證券へと出向、山一所見在職時から河合塾の経営に参加した人である。彼には河合塾を日本一の予備校にしたいという強い願望があった。河合氏自信がハングリーの塊だっただけに、河合塾の全国展開のステップは駿台、代々木よりも速かった。<br />
　今は大人しい息子さんが河合の理事長であるが、大人しすぎて予備校経営者には向いていないような人物である。何しろ、予備校講師はガラが悪いし、我は強い、頭は下げない、暴力は奮う、大酒は食らう。あまり誉められるべき要素がない。ただ勉強が好きで、教えるのが好き、そして目立ちたがり屋ななのだ。こういう連中をコントロールして大手予備校を経営するのは苦労が多かろう。前の河合理事長は人間コントロールが上手かった。あの大人しい息子さんは無理だろう。<br />
　私が福岡河合をやめた後で、女子生徒と性的関係をもつ講師2人を直ぐに首にして、更にセクハラ規定を設けたと聞いてはいたが、福岡校の危うさはその程度では防ぎきれなかった。それが昨年の大麻販売事件である。河合ＯＢの九大現役生までが事件にからんでいた。数年前から「河合の食堂は、合コンと出会いの場」だという噂をきいていたが、まさか大麻を販売するような輩まで堂々と河合塾に出入りをしていたというのは、善良な父兄からは許されないのである。あの事件に対して福岡河合塾は校舎長のいい訳がましい釈明が、新聞の片隅に掲載されていたが、本来は河合塾長の記者会見があってしかるべきであったろう。まさに、人の良い息子さんは全くもって詰めが甘かった。河合にはまだ友人が残って仕事をしているから、あまり暴露めいたことは書きたくないが、この程度なら許されるかなと思う。河合塾といえば私には懐かしい響きをもつが、カワイソウナ塾にならなければ良いがと思う。<br />
　<br />
]]></content></entry><entry><title>公立中学生への塾費用援助</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=638722" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=638722</id><issued>2008-04-19T18:38:40+09:00</issued><modified>2008-04-19T09:38:40Z</modified><created>2008-04-19T09:38:40Z</created><summary>　東京都が公立中学の3年生７３０００人の中から、年収200万以下の所帯の生徒に限り無利子で年間15万円の公的補助を、更に高校3年生900人に年間20万円の補助をすることにしたそうだ。都立の公教育も瓦解して久しいが、遂にくるところまで来てしまったという思いがする。久...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>教育と政治</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　東京都が公立中学の3年生７３０００人の中から、年収200万以下の所帯の生徒に限り無利子で年間15万円の公的補助を、更に高校3年生900人に年間20万円の補助をすることにしたそうだ。都立の公教育も瓦解して久しいが、遂にくるところまで来てしまったという思いがする。久留米の公立高校は今も尚比較的安い特別料金で補修授業が行われているが、都立高校はこのような補足的なシステムを行わず正規の授業のみで教育をしてきた。都立の教師は「やる気はない、力はない、誠意はない、学校にはいない、校外活動はお盛ん」いう教師の風上にも置けない連中がとぐろを巻いている。特に国立市の都教員はとにかくしたいほうだいの風潮が強かった。授業が済めば生徒より早く帰る教師がごまんといるわけで、テレビにでてくるような熱血教師は直ぐにやめちゃう。これが現状である。力ある教師は予備校に変名で教えにいくのが当たり前の世界。これで都立に人気が出ろというのが無理な話ではないか。私立に生徒を掻っ攫われた旧制名門都立高校に少々の力を注いでも全体の底上げは不可能な情況である。<br />
　東京の公立中学の学校崩壊の程度に関しては、私は詳細な情報はないが、私立中学校生の残りの生徒達で構成されるクラスの運営はどうなっているのだろうか。東京の私立は数が多いだけに、久留米辺りの田舎と比べると久留米の公立中学校よりも、学力偏差値の低下が大きいのではないだろうか。<br />
　お金がない家庭の生徒のみに限り塾へ行く費用を補助するそのまえに、なぜ現場の教師を活用して補習授業をさせられないのか？それほど教師はやる気がないのか、都は補助費のほうが教師への給料よりも安上がりと判断したのか。教師の組合が強くて反発を恐れるのだろうか。200万までは出すが、200万を１円でも越えた家庭には補助しないというのは、憲法の平等の要請に反するのではないか。私はいろいろと考えさせられる。<br />
　私の高校の同級生には、電気料金が払えずにろうそくをともして勉学に励んだ人がいた。今では嘘みたいなはなしだが実話である。彼はその後、早稲田へ進学して苦学した。どれほどの苦学を彼が強いられたかは知らないが、彼が苦学の中から得たものは大きかったことだろう。公立学校はこういった苦学生が今も相当数いるはずである。電気を止められたりする家庭の子供もいるだろう。こういう生徒達に率先して指導ができるような資質の高い教師を県や都は採用すべきだろう。成績はそこそこで、やる気はなく、公務員とういう安定職業という点のみを重視して求職する人は排除すればよい。教師の世界は非常にコネがものをいうとも言われる。力はないがコネではいった公立教師は住み心地の良い学校を最初からあてがわれたりもする。コネもなく実力で入った教師は、新任の場所は学校崩壊の場であることがおおい。<br />
私の後輩が九大から高校教師の成り立てのときの着任校は、農業高校であった。抜群の力を秘めた彼のような教師をそういった学校へ着任させる教育委員会や、教育主事のセンスを疑った。案の定、彼は10年後には退職して、一念発起の後、学位をとり今は国立大學教授である。<br />
　優秀な若手教師がやる気をなくす今の教育の現状が、学校を崩壊させたのではないか。立派な先生がいない学校に立派な生徒が育つはずもない。たかだか20万円拠出したところで、債権は焦げ付いて投資したお金も戻らないだろう。勉強の意欲がある苦学生を育てて、将来その一部に教師になってもらい、熱血先生に育ってくれるならいいのだが。石原都知事はお金のある家庭に育っただけに理想論が好きな人のように思う。人柄が良いのではないだろうか。逆に言えば現状認識が甘いと思う。<br />
　高校教師を昨年家庭の事情で早期退職した友人が、昨年4ヶ月程公立中学の非常勤講師を務めた。兎に角悪がきを抑えるのに一苦労したらしい。特に中学1年生が最悪だったらしくて、座席にすわらないのが4名いたとか。彼らを力で座席に座らせるのに10分かかり、彼はそういうことを授業の都度していたら、手の指のつけねが腱鞘炎になってしまった、と言うのである。生徒を殴っちゃいけないから、彼も我慢していたそうだが、堪忍袋がとうとうきれて投げ飛ばしたそうである。投げられた生徒は彼の強さに驚き、以後はおとなしくなったということ。彼は剣道7段の体力があるからこういうこともできるだろうが、女性の先生は無理だ。年配の先生も無理。体育教師くらいしか対応できないだろう。私が中学生の頃は、先生はよく生徒を殴っていた。私も殴られて頭にきたこともあったが、やはり非は自分にあったのだから、仕方のないことだったと今では思う。中学生は身体も大きくなっていく時期だし自信も湧いてきて、自分のやりばのない感情を抑制できない時期である。<br />
弱いものはいじめられ、強いものは威張りくさる、言わば「動物の弱肉強食」がまかり通る。こういう世界では公立の中学教師は身体をはって指導できる人でないと治まらないだろう。<br />
　私立中学生の方は勉強ができるから、公立でみられるような教師の苦労はないだろうが、勉強ができないと学校が全く面白くなくなるという負の効果も生じうる。私立では社会性を喪失した「オタク」になる生徒がかなりいるとも聞く。ある私立の進学校では中学生の中途退学が増えて、150名の同期性が卒業時には110名程度まで減少したという。私立進学校でも授業に適応できない生徒が増加しているのである。公立も私立も学校には変わりがないが、日本の私立と公立の現状は進学レベルと親の経済力だけで分別されつつあるだけに、その将来を大いに憂うべきである。だから、都は公的な補助でもってこのギャップを埋めようと大胆な政策を講じたのだろう。本来国がするべきことを都が肩代わりしている。豊かな財政力を誇る都だから可能だが、福岡県なぞには絵に描いた餅同然であり、出来はしない。涙ながらに経費の節減を市長に訴えていた橋下知事にはできはしない。財政豊かな都の都民のみが享受できる制度だから、法の下の平等に著しく反する政策であるといわれても仕方ないだろう。<br />
　少子化とともに競争もゆるやかになり、お金があればボンクラでもそこそこの私立中学へ進学できる。お金がないと秀才でも勉強の環境に恵まれない。こういうスケールのゆがみは、やはり国家が責任を持って是正すべきであろう。都がやきもきしてもゆがみがなくなるものではないと思う。<br />
]]></content></entry><entry><title>今年の東大発表をみて。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=628812" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=628812</id><issued>2008-03-13T21:05:10+09:00</issued><modified>2008-03-14T12:17:35Z</modified><created>2008-03-13T12:05:10Z</created><summary>　今年の東大合格の高校がは随分と様変わりしてきたようだ。開成、灘、麻布といった詰め込み、先走り受験学校の合格者がかなり減ったのである。都会では私立一貫校が雨後の竹の子の如く増えているせいで、出来る生徒の分散が激しいのが大きな原因である。地方では理科、数...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　今年の東大合格の高校がは随分と様変わりしてきたようだ。開成、灘、麻布といった詰め込み、先走り受験学校の合格者がかなり減ったのである。都会では私立一貫校が雨後の竹の子の如く増えているせいで、出来る生徒の分散が激しいのが大きな原因である。地方では理科、数学のエリート育成費を国から給付されている岡崎高校のような公立が合格者を伸ばしている。東北地方や北関東地方は戦前と同じように、優秀な学生を教育する公立を有するために、私立はスポーツ学校が多い。岩手の盛岡一高は文武両道を極めることをモットーとし、甲子園野球でも決勝選まで残った実績を持つし、一方例年東大理?に合格者を出している。<br />
　秋田、仙台、福島の磐木、茨城の水戸一高、土浦第一、宇都宮、栃木、群馬の前橋、浦和と軒並み公立校が圧倒している。しかも、未だに女子高と男子校に分かれている戦前の学校形態を持つ県が栃木、埼玉、群馬等である。<br />
戦前の学校形態がぶち壊された福岡県等は雨後の竹の子の如く戦後公立校を乱立して、今や学校の統合に忙しい。九州では鹿児島、熊本、大分に強烈な公立エリート校が鎮座まして、私立進学校に引けをとらない進学実績をもつ。<br />
　どうも、地方は公立が強くて新参の私立は押されている。久留米にも私が卒業した旧制明善中学の転進した、明善校があって久留米附設が生徒をかっさらった残りの生徒でそれなりの進学実績を残している。しかも、明善は現在国会議員（さほど偉いとも思わないが）を３人擁している点をみれば、政治を目指すならば公立が強いという証しである。ただ現在の明善は女子が半数を占めていて、昔のようなバンカラ高校ではなくなった。とはいっても、久留米附設は未だ国会議員はゼロのはずだ。ＯＢの数でも、連帯感でも公立は私立を圧倒しているといえるだろう。<br />
　私立校は同窓会など活発に活動することもないのだろうか？方々の地域からかき集めた生徒には横の連携はないのだろうか？勉強の競争が激しくて憎悪が校内に満ちているのだろうか？勉強さえできれば「良し」とする偏った教育がおこなわれるのであろうか？開成は最近中学入試で国語の問題を大きく変貌させて、考える力を持つ生徒を集めようとしているが、これは評価すべきである。なぜならば、理数のようなテクニックを扱えば解ける問題は開成受験者では差がでないはずだし、何と言っても考える力は文章の読解力が最後のよりどころとなるからである。折角良い生徒を集めるのなら、責任を持って立派な学生に育て上げるべきだからである。私の甥っ子は開成に中学から進学したものの、一番上手くなったのはマージャンだったとかで、すばしこい頭の回転はあっても粘りはないし、早熟系統の子供が進む悪例だろう。<br />
　私は現在高校の学年同窓会の運営担当をしているが、高校の同窓会の面白みが最近分かってきた。劣等生も、優等生も名前を呼び捨てにして同等で口がきける、実に楽しいひと時を体験できるのが同窓会である。エリートを自認する開成や灘のＯＢはどういう同窓会をしているのだろう。覗き見てみたいものだ。開成、灘のＯＢには「東大でなければ、人でなし」といった敷居の高さがあるのだろうか。<br />
　東大に入学をして後、勉強しないのが開成、灘、麻布、ラサールと昔から言われていた。彼らの一部は田舎のポット出の秀才君につばぜり合いで"負ける"なという印象を抱くと、自分から下がる傾向が強いということだ。東大に入学して覚えたのはマージャンと合コンでは寂しいのではないだろうか。灘では１００番でも文?に合格はしてしまうから東大の有り難味がないのだろう。旧制中学にいけなかった酒屋のどら息子達のために創立された灘―遠藤周作氏が著名なＯＢだったが―が日本一の受験校に変貌したのはなぜだろう。<br />
　話は変わるが、最近は京大と東大の差がでてきているようである。大学が学校法人化されたことで京大の持っていた反権力、反東大というイズムが壊れているらしい。たて看板が大学構内から姿を消して、落書きのないないきれいな校舎ができている。関東から京都への進学者が確実に減っていることは京大の魅力がなくなってきている証しかもしれない。また、京大のプチ東大化といえるものが現れている。東大に行きたいが、行けなかった連中がデモしかの感覚で京大に来る。更に、共産主義思想が昔のような影響力がなくなった今、学生を思想的にアジル元気な教授がいなくなったのか。今では名前が通っているのは理学部の日本代表の教授くらいだろう。文系に大物がいなくなったのは寂しい限りだ。昔の京大はまさに混沌としたカオス的情況にあったのだが、普通の大学と同じになりつつあるのだろうか。<br />
　今年私の塾から京大の理学部に合格した生徒がいるが、彼の夢は数学博士になることだそうだ。東大にも合格する力は十分にあったのが、あえて京大に行く。彼は根っから、反東大である。「東大は嫌いです」とはっきり言ううあたり、立派な京大生になるだろうと思っている。彼のような反東大の生徒が京大を支えていくのである。京大でも、最近はギリギリで入学してくる生徒の中には、学力の低い生徒がいるそうで先生達も指導に忙しいとのこと。大学生にもなって、手取り足取りのお勉強など誰もしてくれないのだから、そういう生徒は何回も落第して頑張れば、いっぱしの京大生になれるだろう。７回生まではいけるのである。京大も今年のように東大に負けず難問を出題し、いい生徒を確保しないと本当に個性のない大学になる怖れがある。頑張って欲しいものだ。私の縁筋には、ラサール卒業、東大が入試できなかった年に、京大へ進学、アメラグに身を捧げ日本代表になり、７年京大に在学の後、退学して、現在はスペインで生活をしている御仁がいる。京大とはそういう人間を作り出す独特なものが確かにある。京大は留年を恐れず、恥じず何回もやる。だから７回生といったりするのである。京大は東大を諦めた人が行くべきではないのではないか。<br />
　<br />
　]]></content></entry><entry><title>受験する大学の選択は将来を見て決めたい。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=602796" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=602796</id><issued>2007-12-06T21:11:27+09:00</issued><modified>2007-12-06T12:16:35Z</modified><created>2007-12-06T12:11:27Z</created><summary>　先月の半ばから私立医科大学の推薦入試が行われたが、合格者の数は大学により大きな差異がある。推薦制度にも指定校推薦、一般推薦があるがいずれで受験してもかなり合格への難度が高いようだ。
　愛知医科大が指定校推薦と一般推薦の受験生を同日に試験して選抜するが、...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　先月の半ばから私立医科大学の推薦入試が行われたが、合格者の数は大学により大きな差異がある。推薦制度にも指定校推薦、一般推薦があるがいずれで受験してもかなり合格への難度が高いようだ。<br />
　愛知医科大が指定校推薦と一般推薦の受験生を同日に試験して選抜するが、愛知県域以外の高校生はなかなか合格できないようだ。愛知医科大は推薦枠が35名もあるが、この数の多さは異常である。川崎医科大や独協医科大のように付属高校生を入学させる場合の数よりも多いのではないだろうか。推薦枠で受験する生徒は本番で合格する力を持ち合せていないだけに、大学に入学しても進級試験でかなり苦労をするはずである。力のない地元生徒への救済措置として推薦試験をするつもりならば初めからそう言えばよいのではないだろうか。<br />
　なぜ私がこういうことを言うかというと、ソフィアの塾生が愛知医科大の指定校推薦を受験してテストもそれなりに解けたという感触を持ち、合格通知を期待していたのに不合格だったからである。この生徒もそれ程出来るほうではないにしても、そこそこ出来るのである。指定校推薦と一般推薦の試験をを同日にする意図もわからない。何のための指定校かと聴きたいものである。期待を持って受験する生徒の気持ちおを全く逆なでするような推薦試験はしないほうがよい。<br />
　今年は国立医学部や県立医科大学の定員が全て90名から100名へアップしたせいで医学部受験狂想曲も競争曲程度に落ち着くだろう。特に私大系の難度が下がると思われる。国立組が掛け持ち受験をする私立医科大学は通り易くなるだろう。<br />
　予備校偏差値一覧表を見ると、ちょっと以外なのが近畿医学部の偏差値が上昇していることだ。この大学は数年前まで理事長と理事会が折り合いが上手くいかずにかなり経営を巡って両者の間で悶着があったそうだ。悪玉とされていた前理事長が辞職したせいで近大は良くなるという噂は聞いていた。<br />
今年は老舗の大阪医科大、関西医科大よりも上にランクされている。数学が?Ａ、?Ｂしかなくて英語が若干難しいから女子学生の受験者が多いのが偏差値アップの理由かもしれない。近大当局者にとっては嬉しいことであろう。<br />
　さて一般的には、受験生は偏差値が高ければ立派な大学だと思い込むようだが、必ずしもそうじゃないのである。特に医学部等は伝統、人材、関連病院の経営、教授陣の陣容、財力、国の管轄機関からの信頼度等がものを言う学部だけに、近大が関西医科大と大阪医科大を簡単に実力的に抜き去ることは暫くないであろう。この福岡県でも久留米大学医学部が田舎町にあるのに、都会派の福岡大学が未だ抜けないでいるのもこうした背景があるのだ。<br />
　だが将来は近大は関西医科大と大阪医科大を福大は久留米を抜いていくだろう。その理由は近大も福大も総合大学だから他の三校に比して財力の差が大きい。近大に関しては私はしらないが、福大は国家が地域医療進行の名目で落すお金の桁が久留米と比較にならない程大きいのである。こういった国家のお金は人口の多さを基準に算定されるから、九大医学部と山分けしても<br />
福大の懐に入る金額は久留米より一桁多いことになる。福大も最近随分と良い先生を教授陣に迎えてスタッフの充実を図っている。今はまだ久留米がスタッフの数で福大に勝っているが10年もすれば福大に追い越されてしまうのではないだろうか。<br />
　話は最初に戻るが、岐阜大学、三重大学、名古屋大学、浜松医科大、藤田保健衛生等に包囲され愛知地域で負け組みになっている愛知医科大学は怪しげな推薦入試をして生徒をかき集めざるを得ないのだろうと私は推測するが、皆さんはどう思われるだろうか。愛知医科大はソフィアのような小さな塾にまでも受験パンフレットを一方的にに送付してくる営業熱心な大学である。かのセクハラ総長の第一薬科大学は営業部長の來塾があるからもっと営業熱心ではる。<br />
]]></content></entry><entry><title>何事につけ強い意志を養成すべし</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=570387" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=570387</id><issued>2007-08-21T18:14:59+09:00</issued><modified>2007-08-21T09:14:59Z</modified><created>2007-08-21T09:14:59Z</created><summary>今年の甲子園大会では佐賀北の活躍が新聞紙面を賑わせている、公立高校が決勝選まで残るのはとても珍しいことだろう。ナイター施設をもつグランド、室内練習所、そして合宿所を備えもって全国から優秀な選手を引き抜いてチーム編成をする野球学校が強いのは至極当然のこと...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[今年の甲子園大会では佐賀北の活躍が新聞紙面を賑わせている、公立高校が決勝選まで残るのはとても珍しいことだろう。ナイター施設をもつグランド、室内練習所、そして合宿所を備えもって全国から優秀な選手を引き抜いてチーム編成をする野球学校が強いのは至極当然のことだろうが、佐賀のように人口が少ない地域の公立校が夏の大会で大健闘をするなどあり得ないことだと思う。何故あれほどに強いチームができたのだろうか。佐賀のような田園で伸び伸びと育った若い高校生は純粋であるだけに新しい経験を吸収する力も凄まじいものがあるのは認めるが、佐賀北の健闘は特筆に価する。随分昔に福岡県の三池工業がアレヨアレヨというまに夏の大会で優勝をひっさらったことがあったが、今回の佐賀北の躍進振り三池工業とよく似ている。相手は野球学校の広陵高校で所謂セミプロ集団である。明日の試合が楽しみではある。今年の高校生のスポーツの活躍でもう一つ特筆すべき選手が久留米附設の１００mアスリート宮崎君である。彼の活躍は佐賀北程には世間の耳目を集めてはいないが、高校総体で２年生ながら４位の成績を残している。練習は一人で校門のスロープを走る程度で全国４位とは恐れ入る。高校総体に出場した際に始めて短距離専用のスパイクを始めてはいて走ったそうだ。<br />
フォームはバラバラだそうだが生まれ持った才能が彼を走らせるのだろう。<br />
コーチの指導をうけたこともなくて、よくも１０秒台のタイムが出せるものだ。彼の太ももは短距離走者らしからぬ細い太ももだそうだ。もしも専門のコーチについて練習すれば日本のトップランナーになれるのではないだろうか。更に驚くべきことは彼は附設の寮にはいらず、なんと毎日実家のある下関から通学をしているそうだ。彼は朝日が昇る前に起床して月が見える頃に帰宅する生活だそうだ。「最近の子供は根性がない」などと私は日頃から思うことがあるが、宮崎君の強い意志には関心してしまう。佐賀北の健闘を支えるものにはおそらくこの強い意志を選手達に養成するように導いた監督の<br />
名指導が隠されているだろう。佐賀北と宮崎君の健闘ぶりを見るにつけ、何事を問わず強い意志を養成することが、肝要と痛感する次第である。]]></content></entry><entry><title>英語を英語で読む。。。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=458704" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=458704</id><issued>2006-11-10T20:20:32+09:00</issued><modified>2006-11-10T11:21:02Z</modified><created>2006-11-10T11:20:32Z</created><summary>ソフィアに来る高校生の一人が、なかなか英語の和訳がうまくなれずに苦労をしているからどういう勉強をしたらいいのだろうかという質問を受けた。この生徒は中学までは英語は得意だったのが、高校入学以降さっぱり英語が伸びないらしい。私が色んな問題を解かせてわかった...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>教育と文部省</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ソフィアに来る高校生の一人が、なかなか英語の和訳がうまくなれずに苦労をしているからどういう勉強をしたらいいのだろうかという質問を受けた。この生徒は中学までは英語は得意だったのが、高校入学以降さっぱり英語が伸びないらしい。私が色んな問題を解かせてわかったことは、単語力はないし、文法力も弱い、とりわけ和訳のコツをさっぱり知らないのだ。私も英語の和訳の分野が高校２年くらいまで模擬テストで得点が低かった覚えがあるが、修飾語句の処理法くらいは分かっていたと思う。この生徒に学校での授業振りを尋ねてみたところ驚くべき事実が分かった。それは、英語担当の教師が和訳のコツなどさっぱり教えないで、「英語は英語で読むのがベストである」から「いちいち日本語に訳しないで英語を読めるようになりなさい」と言っているらしいのである。言わんとすることは、逐語訳的な読解は時間がかかるし、なるべく早く大意を掴むことが正しい読み方だということだろう。私も河合塾で英語教師をしていたころ、確かそういったことを生徒の前で言っていた覚えはあるが、inside meaningを早く掴むということと、きちんとした日本語に和訳することは全く矛盾しないし、和訳をきちんととらないと文の内容を掴めない場合も多々あるのだ。特に日本語と英語は全く接点のない言語であるだけに、英語苦手な人はどこから訳を始めるべきかも分からないのではないだろうか。センター英語のような易しい素材は馴れてしまえばrapid readingしていけるだろうし、すべきだとおもうが、国立大學の二次問題は和訳のコツを掴まない限りは、得点はできないと思う。最近の高校では講文を使った英訳練習もしないで、長文をザーッと読ませるのが主流のようだが、そういう教え方では英文を正確に日本語に直すことを生徒には教えられないのではないかと、私は思う。更に最近では講文に関する参考書等が店頭から消えつつあるために生徒達も独学しようとしても素材不足に泣かされているのではないだろうか。現在講文の本で使えそうな店頭の問題集はは極少数である。それら参考書も、英語苦手な生徒にはかなりハイレベルだろう。となると、和訳を苦手とする生徒達は結構難しい内容の英文を読んで自分なりに和訳のコツを掴まざるを得ないのが現状のようだ。高校１、２年に使える講文テキストの編集が非常に望まれる次第である。私は予備校で教えてきた経験を生かして作った講文テキストをソフィアで使用するが、和訳苦手な生徒はきとんとした日本語に直せるようになるのに、半年以上はかかるのが現状である。１０年前に比べると難解な和訳の出題は減ったが、それでも今の生徒達は完訳できないでいるということを、現場の先生方はもっと真剣に受けとめるべきではないだろうか。基本的な和訳のコツはきちんと教えてあげないと生徒達が可哀想だろう。文部省が文法偏重の授業は止めるように通達を出したのが１０年前くらいだったと思うが、役人の押し付けがましい現状無視の教育方針がここでもほころびを見せていると思う。文法と講文の授業数を減らさせ、速読重視の英語教育への切り替えで生じている結果に対して文部省の役人や教育審議会のメンバーは何か痛痒を感じているのだろうか？彼ら方針は英語が元来苦手な人達のことを全く無視した冷たい政策だと、私は思うのだが。]]></content></entry><entry><title>自由作文はどう書けばいいのか？</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=423235" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=423235</id><issued>2006-09-06T15:15:21+09:00</issued><modified>2007-02-25T04:27:41Z</modified><created>2006-09-06T06:15:21Z</created><summary>最近の受験生で著しく学力が低下した分野は英作文能力ではないだろうか。昔の生徒は学校で英文基本文例集などで暗記させらていたせいか、何も書けない生徒はいなかったように感じる。ただ書く英文は丸暗記したままだから、単語の語法の違いなどはおかまいなしに書いていた...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[最近の受験生で著しく学力が低下した分野は英作文能力ではないだろうか。昔の生徒は学校で英文基本文例集などで暗記させらていたせいか、何も書けない生徒はいなかったように感じる。ただ書く英文は丸暗記したままだから、単語の語法の違いなどはおかまいなしに書いていたようだ。それでも、かなりの生徒は英語を書いていたのである。今の受験生の大半は暗記を強要せずに伸び伸びと英語を楽しませ会話でのコミュニケイションができるようになればよいといった文部省の教育観が背後にあるせいだろうか、高１から３年まで単語や表現を覚えさせるパターンの繰り返しで英語が教えられている。まともに、英作文など教えていないのが現状である。久留米附設は東大合格者数を安定して出さないといけない宿命を背負わされているから、１年から英作を教えている。だが、附設でも今の大学入試の作文出題傾向にあっているかといえば、かなり時代遅れの教材で指導している。英語で表現するなんて高校生ができるはずもないような教材を使っているのである。公立の明善となると、長い作文などの授業は殆どないと聞く。大学側は文部省の指導に従い、コミュニケイション重視の素材を出題するのだが、高校側は相変わらず昔の難解な日本語の英文表現にウエイトがある教材を使って生徒を指導している。今の受験生が「自由作文をどう書いていいかわかりません」と言うのをよく耳にするが、そういう時私は次のように答えることにしている。「自分が知っているレベルの英文で書けばいいんです」と。ただ、英作を自分の知っている単語で書けばいいが、実は、英文の構造を作り上げて、自己の意思を明確に表現するのは、とても難しい。日本の作文授業では、この構造を作り上げることを教えずに、日本語の英語への置き換えのみを教えてきている。一部の才能ある人を除いて、日本人が英語を駆使できない欠陥はここにあるわけだ。英語を読んでいるときに、英語の書き方をよく見てもらいたいものだ。英文和訳のみにきゅうきゅうとせずに、英文の書き方に思いをはせて読んだらどうだろう？先生方もそこを教えてあげればいいのにと、私は常々考えている次第である。]]></content></entry><entry><title>本当の意味での受験勉強とは何だろうか？</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=310501" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=310501</id><issued>2006-03-18T13:45:34+09:00</issued><modified>2006-04-02T06:01:18Z</modified><created>2006-03-18T04:45:34Z</created><summary>後期日程の終了が私にとってようやく一年の長丁場が済むことになる。一年は長いようで短いのだが、殆どの受験生にとっては私の思う以上に短い一年だろう。私の受験生当時の記憶をたどっても、特に10月以降の時間の経過は実に早いものでいつも時間に追われ焦っていた思いが...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[後期日程の終了が私にとってようやく一年の長丁場が済むことになる。一年は長いようで短いのだが、殆どの受験生にとっては私の思う以上に短い一年だろう。私の受験生当時の記憶をたどっても、特に10月以降の時間の経過は実に早いものでいつも時間に追われ焦っていた思いがする。私は一般的な受験生と同じだたったと思うが３年生の春休みから本格的な受験勉強を始めた。今思うともっと早い時期から「受験を意識した勉強」を始めるべきだったと思う。「受験を意識した勉強とは何か？」と尋ねられるならば、まず第一に志望校と学部の明確な決定、モチベイション、そして3年生になった時に役立つ有意義な授業と答えたい。私立の進学校ではカリキュラムの先取りが行われるからその恩恵は確かにあるだろうが、どうも先取りだけがただ単調にしかも粗雑に行われているような気がしてならない。教科書による基本の把握を怠っていながら、その一方比較的易しめの問題でかなりの練習を重ねても受験勉強にはさほど寄与しないと思う。ここに教える側の有意義な授業をすべき責任が生ずるのではないだろうか。私は受験勉強をスムーズに進捗させるには、高2の時期までに教科書による基本の理解、深く考える力の養成。そして、これらの目的を実現するために、数段階に分けた教材に基づくレベルアップの指導が重要だと考えている。従って、私は当塾で自分が担当する英語、数学に関しては、長い時間にわたり作成してきたプリントを授業で使用し生徒に解かせる手法をとっている。私が作ったプリントを低学年の生徒にさせると結構生徒は意気にかんじて解いてくれるようである。ともかく、私は生徒の知らぬ間に彼らの頭脳を啓発し、独り立ちさせ、受験への力がつくような指導を心がけているつもりである。皆が浪人せずに受験をくぐりぬけて欲しいものである。<br />
]]></content></entry><entry><title>大宰府天満宮でのお参りの仕方とは</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.msophia.com/?eid=243109" /><id>http://blog.msophia.com/?eid=243109</id><issued>2005-12-31T19:34:38+09:00</issued><modified>2005-12-31T10:34:38Z</modified><created>2005-12-31T10:34:38Z</created><summary>今日私は大宰府天満宮に一年間無事に生徒を教え終えたことを感謝する気持ちでお参りに行ってきた。普段めったにお参りにいく機会を持てないし、いわんや年の瀬にお参りするなんて皆目なかったことだったが、昇殿をして他の参拝者と共に祈願をして頂いた。お陰でとても印象...</summary><author><name>matsumoto</name></author><dc:subject>受験</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[今日私は大宰府天満宮に一年間無事に生徒を教え終えたことを感謝する気持ちでお参りに行ってきた。普段めったにお参りにいく機会を持てないし、いわんや年の瀬にお参りするなんて皆目なかったことだったが、昇殿をして他の参拝者と共に祈願をして頂いた。お陰でとても印象的な神事を目の当たりにすることができた。それは、天満宮年の瀬の恒例儀式である、大祓いである。誰でも一年間の暮らしの中で様々な所業を重ねるのだから、その一年の間身体についた厄を祓ってもらうのだ。儀式は実に粛々と執り行われ、神主の十名の方達が厳かな祝詞を上げる中、自分の身体をはらった一枚の神を燃え盛る炎の中へ投げ入れて、祓いは終了するわけである。学問の神様である道真公はあの社殿の下に埋葬されていると聞いたことがある。皆はお願い事を専ら道真公にするのだろう。しかし、まずお願いをする前に、公の苦難、難行を思い、公の怒り、悲しみを和らげるよう祈願しないと、公は祈願をかなえてはくれないと専門家の方からお聞きしたことがある。もし天満宮へ初詣をして合格祈願をする予定の人は、このことを心に抱き実行されたらいかがだろうか。しかし、試験はやはり実力で決まることは間違いない。合格しそうな人がお参りをして、ミスもなく、病気もせずいくことを願うことが、道真公も一番協力されるだろう。無理な神頼みは道真公はうけられないだろうと思う。]]></content></entry></feed>